私が初めてこのお菓子を知ったのは、ドゥニ・リュッフェル氏の日本での技術講習会です。
期間限定(11月~5月)
フランスとスペインにまたがるバスク地方で今でも日々食べられるお菓子です。作られる所によって少しずつその味わいは変わりますが、まさに例えようもない豊かさと力に満ちた、五感を圧倒する味わいです。このガトー・バスクはフランス側の国境の地バイヨンヌで食べたガトー・バスクからイメージを得て作ったものです。バイヨンヌのものはクレーム・パティスィエールだけでしたが、私共のものにはクレーム・ダマンドゥ(アーモンドクリーム)が少なめに加えられています(⇒スペイン産アーモンドについてはこちら)。所によってはより多くのクレーム・ダマンドゥが加えられたより朴訥な力のある味わいのものもあります。同じバスク地方といってもスペインの海辺の保養地サン・セバスチャンやそこに住む人々はとても明るく屈託なく生活を楽しんでいるように感じましたが、バイヨンヌは何か少し重い、張りつめた印象のある町で、バスク地方でもこんなに違うのかと少し戸惑ったことを覚えています。サン・セバスチャンの海辺では娘さんもお母さんもトップレスがいっぱいでした。「おっ、つけてねぇ!」嬉しいのも一人二人までです。三人目でありがたみは一度に消えました。もったいなかったです。
味わいを作り上げる技術もさることながら、寸分たがわない味わいをこの日本に伝えたいという執念によって、このお菓子は作り上げることが出来ました。今から20年ほど前までは日本に輸入されていなかったスペイン産アーモンドの輸入を可能にし、さらにカタルーニャ地方、内陸レリダの世界で最も味わい豊かなアーモンドを自らの手でこの日本に輸入したからこそ、可能になりました。それまで全く縁のなかった輸入業務を自身で始め、何度か経営的困難にあいながらも秀逸な素材を求め続けた結果であり、正に私の執念の人生と誇りをかけたお菓子です。例えようのない愛着を感じます。
一人でも多くの人にぜひこの味わいを知ってほしい。素材に力が満ちるほどに、技術の入り込む余地は小さくなります。無理に技術に素材の特性を従えようとすると、素材は頑なに心を閉じ、支離滅裂な味わいしかできなくなってしまいます。
賞味期限 焼いた日より3日間
今から10年ほど前、うまくて安い栗製品を探しにスペインを訪れました。その時、サンチャゴ・デ・コンポステラに泊まりました。この地は有名な大聖堂があり、キリスト教の巡礼のとても重要な地とのことです。
この地で食べた様々の料理、肉、魚、野菜の力を持った、細胞めがけて突き進むようなエネルギーをもつ味わいに圧倒され、改めてスペインの土の、私の想像を超えた肥沃さを知った旅でした。その時、お土産屋さんでスペイン語も読めず、どんなお菓子かも知らずに買ったのがタルト・サンチャゴでした。おまけに帰国し、家でトランクを開けてみると、タルトゥはかなり壊れていました。「まぁ、どーせそんなに旨そうには見えないからしょうがないか」と思いながら、壊れているものを口に入れました。
「えっ、えっ、おっ」
口中に押し寄せるあまりにも力強い厚みのある暖かい味わいに、ただ驚きました。
「えっ、なんでこんなにうめぇんだ」
ちょっと頭の中が混乱するほどの突然の出来事でした。
「いやー、やっぱりスペインはすげぇなぁー」
以来、スペインへ行くと必ず自分のために買って帰りました。一度に完全に虜になってしまう。人生の中でもあまりあることではありません。
いつか日本でも「タルトゥ・サンチャゴ」を作れたらなぁ。ずっとそう思い続けてきました。
タルトゥ・サンチャゴの作り方は昔からの本当に単純極まりないものに決まっています。いくつかの素材をシンプルに混ぜ合わせる。それだけだと思います。何も見ることなしにとにかく頭の中にあるイメージを何度も作りました。決して私の頭の中のイメージが先走りしないように、アーモンドを中心とした素材の味わいを自然につつましやかに混ぜる。それだけを心掛けました。
派手な味わいではありません。ふつふつと心に宿るしずかなおいしさです。勿論、本物と同じようにとはいきませんが、何とか私の心にかなうものが出来ました。ぜひ食べてみてください。
本当はタルトゥの中心のマークは十字架です。でもクリスチャンでもない私がそれまで真似をしたら不敬であると思い、IL PLEUT SUR LA SEINEの頭文字のIにしました。
何か自分の楽しみと誇りを確認するために作ったようなものです。以来、私の心はいつも以上に浮き立っています。
※このお菓子は買ってから約1週間は、たとえ乾燥してもパサついてきてもおいしさは少しも失われません。私には半月経っても旨さは変わりません。
20℃以下なら冷蔵庫に入れる必要はありません。
皆さんは最近、「日本の味、カステラ」を食べたことがありますか? 有名な文明堂、長崎の福砂屋、それらや巷の多くのカステラは昔の、少なくとも私が菓子屋の見習いに入った頃の味わいではありません。
カステラの作り方はとても単純です。そしてこれには生クリームもバタークリームも塗りません。正にスポンジケーキ、生地だけの味わいなのです。そこに、それぞれの店は自分の店だけのオリジナルの味わいを作るために、様々の、その店ならではの工夫を凝らします。使う砂糖は上白糖だけでなく、より香り、味わいのしっかりした茶色がかった麦芽糖の水あめを使います。そして蜂蜜を加えたり、また醤油を少量加えてその店独自のカステラを作ろうとします。そして歯ざわり、口溶けも力強く、素朴な、幸せを感じるおいしさでした。
本当に昔のカステラって、おいしかったんです。私も洋菓子の道に入ってからもずっと大好きでした。しかし、このカステラも、他の食べ物、飲み物と同様に、時代と共にあっけなく味わいの単純さに翻弄され、全く以前のものとは変わったものになってしまいました。より甘くなく、少しのざらつき感もなく、ただソフトさだけの単調さだけのカステラに突き進んできました。
いくつかの店のものを食べてみても、個性的な香りは皆無です。食感はただ滑らか。柔らかく。それだけです。味は全く平坦で、口に入れても何の楽しさも嬉しさもありません。正に今、日本の多くの食べ物や飲み物と同じように、口には出来るだけ何も感じない方がおいしいという、狂った嗜好によって作られているのです。
私はこの日本人の心を忘れたのっぺらぼうな味わいのカステラは、極めて異常な、人間性を喪失した食べ物であり、人の心と身体に幸せを与える本来のおいしさではないことを皆さんに提示したかったのです。
私が菓子屋になった和洋菓子店の和菓子の職人さんが作るカステラの切れ端はよく食べていました。カステラの配合は、卵と砂糖の量が同じであり、その半分が粉であることを覚えています。この記憶だけを基礎に、カステラの試作が始まりました。他の店のレシピを参考にすると型にはまったものしか作れないと思ったからです。
まず卵と砂糖を同量にして、粉をその半分にして焼いてみる。そして食べる。少し歯に粘る。粉を5%ずつ減らして、少しずつその粘りをとっていく。ある程度にくると、私のイメージの中の歯ざわり、口溶けに近づいてくる。しかし焼き上がった生地のスダチが粗く、歯ざわりも、どうも少し粗い。砂糖の分量を5%ずつ減らし、スダチを細かくしていく。酒、水分の量は何%まで生地にしっかりと吸収されるかなどを確認していく。そして香りを立てるために、日本酒やキルシュを少量加えたりする。何度かやってキルシュはカステラには合わないことを知り、振り出しに戻る。それではシナモンを少し加えよう。適量を決定するために、さらに2~3度の試作が続く。こんな具合にして、26回目の試作でようやく私がほぼ納得するものが出来ました。
何もないところから試作を始めたのは私の五感にピッタリ重なるカステラが欲しかったからです。でも試作も15回目を過ぎると、全体が把握できない状態になります。頭の中がグチャグチャになりましたが、私のたった一つの取り得、並みではないしつこさと、試作を手伝うスタッフの山﨑の正確な記録、大きなアドバイスが何度となく私を支えてくれました。
甘さに豊かな味わいと力を加えるために、糖分は上白糖、玄米水あめ、赤砂糖、味・香りの強いフランス・プロヴァンスの百花蜜の蜂蜜。これだけの種類の甘みを加えます。香りも、ろ過していない味わいの強いにごり酒、シナモン、ナツメグを加え、香りに力を与えます。そして私ならではの技術によって焼き上げます。26回目の試作で出来た「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌのカステラ」、巷のものと比べれば、そのおいしさの違いはあまりにも大きいです。
香りも、歯ざわりも、味も、幾重にも重ね、作り上げた、正に「孤高の味わいのカステラ」なのです。私はフランス菓子を作るパティスィエですが、心と身体が喜び、幸せにする食は、和菓子、家庭料理、全て同じです。特に和菓子は有名店も無名店もすべて、味も食感も感じられぬほどに薄っぺらに単純化し、弱くすることが最上の繊細な味わいと考えています。どら焼き、まんじゅう、大福、桜餅、決して食べる人に喜びと幸せをもたらさない人間性を喪失した形式的な味わいに侵されています。私の世界にも人間性が復興されなければなりません。私のカステラは、その先鞭となる物と思います。
是非、食べる人の喜びと幸せのためのカステラを一度、お試しください。