これまでドゥニさんが講習会で発表してきた伝統的なフランス料理を日本で再現するために様々な工夫をこらし、誰もが魅了されるおいしさを作り上げています。メニューはキッシュ、カナッペなどのトレトゥール、スープ、サラダ、リエットやパテなどのシャルキュトゥリ、ブッフ・ブールギニョンやカルボナードなど郷土色の強い煮込み料理など全70種(バリエーション含む)。
第一弾は比較的家庭でも作りやすそうなものを選んで構成しました。
1950年生まれ。「パティスリー・ミエ」元オーナーシェフ。
イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ顧問。パティスィエ、コンフィズール、グラスィエのフランスにおけるBM(上級資格)取得。料理にも情熱を傾け、CAPキュイズィニエ取得。サルコジ元大統領はじめ各界著名人から愛されている。
弓田がパリの「パティスリー・ミエ」で研修した時に弓田亨と出会い、その後「生涯の友」として、互いに示唆を与えあう仲となる。
弓田は「彼なくして私のパティスィエ人生はない」と言い切る。
ドゥニさんの日本でのフランス菓子・料理講習会も今年で30回目を迎えることとなりました。30回。30年。あまりにも長い時間です。
その間、講習生が200人を下回ることはありませんでした。彼がこの日本で私たちに与え続けてきた、食の領域での真にフランス的な魅力あふれる偉大な力を今、再認識しています。
彼の料理、お菓子の真髄は、一点のくもりもない人間への愛と言えます。
人はこの世に生れ落ちてから、愛に包まれて育たなければ本当の愛を知ることは出来ません。
ドゥニさんは両親や祖母から慈しみを受けて育ちました。そしてその根幹をなすものは当時の、今よりもっとおいしかった野菜や肉などでお母さんやおばあさんが作ってくれた本当においしく、彼の身体を健康に強く育くみ、家族のきずなを強めてくれた手作りの料理でした。そしてお父さんの広い心です。
ドゥニさんのおじいさんは第一次大戦でドイツとの戦いでで戦死しました。またドゥニさんのお父さんも第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となりました。しかしお父さんは「ドイツ人もフランス人も同じ人間であり、悪いのは戦争だ。ドイツ人を恨んではいけない」とドゥニさんに常々言っていたそうです。
このような家庭の中で、ドゥニさんは人への愛を育んでいったのです。
彼の作るお菓子や料理はそれを食べる人のために作られます。本当においしい、食べる人の心と身体を健康で幸せにするものを作り続けます。1日4時間しか睡眠をとらず、知力体力を全て味わいのために注ぎ込みます。マスコミにへつらうことは決してありません。
これがドゥニさんのたった1つの姿なのです。 日本からは真実の食は消えてしまいました。
そんな時だからこそ食の本質を伝えるドゥニさんの料理とお菓子を、この日本で伝え続けなければという思いが、日本での講習会でした。
30回を機に彼の足跡を形に残さなければという思いの下にこの本は作られました。
椎名は第11回目からの料理講習会でドゥニさんと共にこの日本の劣悪な食材で試作を繰り返してきました。
ドゥニさんの薫陶を受け、彼女の料理もふくらみを持ってきました。
椎名がドゥニさんへの感謝と尊敬の念を込めて、撮影の料理を作りました。
暖かく、いつくしみ溢れるドゥニさんの足跡です。