トゥレトゥールとは、お客様の要望に多様に対応する料理人という意味と私は考えています。
レストランでも同じようなことはするのですが、トゥレトゥールは一般にレストランという一定した料理を専門に提供する場所は持たず、パティスリーでのテイクアウト可能な料理の持ち帰り、注文を受け個人の家庭に行って料理をサービスしたり、大小の誕生会に家庭や古城などを貸切にし、大勢の人に料理を提供したりと様々の販売形態を持ちます。しかしそれぞれの明確な境界を定義することは出来ません。彼は200~300人のパーティーであってもパティスリーのお菓子の販売に支障をきたすことなくこなし、このトゥレトゥールをずっと大事な仕事としてきました。
特にパーティー料理ではパーティーの雰囲気を楽しく華やかに盛り上げることが要求されます。料理は味わいと共により美しく見栄えのする形に仕上げるセンスも必要です。様々の意匠を凝らしてより楽しく盛り付けたり、きらびやかに並べられたりします。料理の味わいばかりでなく、パーティーの雰囲気を盛り上げるためのプレゼンテーション、演出にも力がそそがれます。
ここでは私が聞き手になって彼のそれまでの人生全般にわたって様々なことを話してもらいました。
まず彼が生まれた1950年代の社会状況、彼の家庭の様子などが語られています。そしてもう5歳にして料理人になることを決意させた母のおいしい料理。パティスィエになることを反対し続けた父の考え方、そしてついに父親が折れるまでの流れが語られています。
そして父の勧めでパティスィエの職業訓練学校に通いながらのパティスリー・ミエでの研修、学校を卒業してから正式に「パティスリー・ミエ」に入ってからが語られ、師となった、エネルギッシュで完全主義者であるジャン・ミエ氏を尊敬の念をもって語っています。傑物であるジャン・ミエ氏の周りに集まる、当時一世を風靡した三つ星レストラン「アルケストラート」のアラン・サンドランス氏、二つ星の「ラ・ヴルゴーニュ」のモナシェ氏について書かれています。ここでは語られていませんが、フランス人でもただ一人だけ、お菓子・料理の両方でMOF(フランス最高労働者賞)を取得している、かつての三ツ星レストラン「カメリア」のオーナーシェフ、狂気の天才料理人、ジャン・ドゥラベーヌ氏には我が子のようにいつくしみを受け大きな影響を受けています。また私が自分のパティスィエとしての人生で初めて、フランス菓子を教えてくれたのはジャン・ドゥラベーヌ氏の「フランス菓子入門」でした。
※そして冷蔵庫や冷凍庫の普及によって大きく変革したお菓子・料理づくりについて述べ、新たにマスコミが料理やお菓子の普及に影響を及ぼし始めてきました。1965年、そして社会と生活の変化と共に要求されるお菓子や料理も変化していく様が語られています。
※さらにレストランのディナーとトゥレトゥールの大きな考え方と技術的な違いが述べられています。レストランでは最良の状態でお客様に料理をお出し出来るのですが、トゥレトゥールではお客様が食べたいものから選び、時間が経ったり冷めたりするのでソースも濃いめにつくるとかの様々の考慮が必要である。その他が述べられています。
※また料理やお菓子作りにおいても変えて良いものと変えてはならないものがあり、以前からのものを確かに継承することの大切さも述べています。シェフになってからもパティスリー・ミエはこの考え方に基づいてお菓子を作ってきました。
コンクールに出て大きな細工物を作ることがパティスィエの本分ではなく、毎日の仕事がパティスィエやキュイズィニエにとってのコンクールであり、精一杯の仕事をしてお客様のためにお菓子・料理を作るのがパティスィエとキュイズィニエの一番大事な役目であり、コンクールのためにパティスィエが存在するのではない。と師・ジャン・ミエ氏も言い続け、彼もそう考えています。
※そして決して楽な簡便な作り方に陥らず、手間と時間をかけて本当の味わいを作り続けることが自分のパティスィエとしての生き方である。
彼にとって人生の大きな幸せは仕事をすることであり、さらに仕事で得た成果を他の人と分かち合う喜びも大きな人生の喜びであると結んでいます。