この本は1986年の開店以来、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌを光り輝かせてきた孤高の味わいの贈答品特集です。
以前は本には出たいけれど自分のところの売れ筋のお菓子は教えたくないと、でたらめの配合を載せる心の小さい菓子屋がほとんどでした。
イル・プルーはずっと開店以来100%に近いお菓子の配合をオープンにしてきました。そんなことをしていいんですかと心配する人もいました。でも人間はちっぽけな成果を小さな気持ちで抱え込んでしまうともう終わりです。常に裸になっていないと先に進むことは出来ません。
この本『贈られるお菓子に真実の幸せを添えたい』はそんな私の考えの凝縮した最たるものです。何しろ、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌのヒット商品、売れ筋のお菓子だけの特集号ですからやる気のあるパティスィエにとっては値千金の本です。店で現実に売られている手本となるお菓子があって、その作り方をこれでもかといわんばかりの詳細な工程の写真と説明、ちょっとその気になれば同じ味わいのものが出来ないことなどある訳がない。それもどこにもないイル・プルー極め付きの旨さのお菓子、ギフトの品々です。
一つくらいはここだけのものをおこうということで、ルセットゥを非公開にしていた「西洋かりんと」。多くのパティスィエから何とか教えてくださいと頼まれました。それもこの本には載っています。とんでもなく旨いリーフパイ、絶妙に人の意識をえぐるような筆舌に尽くしがたい深く交差する香りのポンス・ノワゼットゥ。
まぁ似たようなお菓子があちこちにあります。しかしどれをとってみても、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌの孤高の飛び抜けたおいしさと比べることは出来ません。何故、どのような考え方、技術からこのおいしさが生まれるのか。これでもかと言わんばかりに詳細に記しています。
どれもこれもイル・プルー・シュル・ラ・セーヌの歴史と名声を支えてきたお菓子ばかりです。どれをとってもあなたの店のヒット人気商品となりえるものばかりです。
その店の本当においしい正真正銘のどこにもないオリジナルの贈答品を作ることはとても難しい。とりあえずこの孤高の味わいの焼き菓子を作ってみて下さい。そして作り続ける。必ずいつか、貴方自身の輝くイメージが出来あがり、誰もが目を見張る貴方の、貴方の店のオリジナルが出来あがります。
この本を出版した時、私は果たしてどれだけのキュイズィニエが、この論理詰めの本に挑もうとするのか、そして正しく理解できるのだろうか、ちょっと難しすぎるかなぁと心配しました。パティスィエも大して変りはないのですが、流行だけを追い求めマスコミにすり寄る根なし草のようなアクロバティックな料理に現を抜かすキュイズィニエには、この本は手におえる代物ではありません。
でも特に若いキュイズィニエにはこの本に挑んでほしいのです。
今のフランス料理の流れとは全く反対にある体系ですから、初めはとても難解だと思います。でも論理的、科学的な考え方、鮮烈なイメージに従った素材のとらえ方など、今まで考えもしなかったことが溢れています。
料理はインスピレーションが大事と言われますが、それはお菓子も同じです。パティスリーは工程の長いものが多く、作って注文を待たなければならない。料理は注文が来てから最後の仕上げを短時間でする。ただそれだけの違いです。
料理も最後の仕上げの前まではフォンの作り方、その他はやはり、科学的で論理的な考え方がなければ本当においしいものは最終的に出来上がりません。
特にパティスィエはレシピ集めの虫ばかりです。一つのレシピで出来るお菓子は皆同じと考えています。でもレシピは単なる出発点に過ぎません。考え方、技術によって最終的に出来るお菓子の味わいは全く異なります。日本のパティスィエには素材への愛着とインスピレーションが全くないのです。
日本のキュイズィニエに欠けていることは、同じものを同じ状態に精度高く安定して作り上げるという訓練です。この基本的なことが確実に出来て初めて最後にインスピレーションが発揮できるのです。フランスにはパティスィエから始めてキュイズィニエになり名を馳せた人が多くいます。それはこのような基本的な訓練をお菓子作りで十分に積んだからこそ秀逸な料理が可能だったのです。
私の友人、フランス最後の巨人ドゥニ・リュッフェルもそうです。彼ははっきりと「お菓子作りを十分やってから料理を始めると料理はそんなに難しくない」と言い切ります。
この『[新装版] Les Desserts』には多くのキュイズィニエが忘れてしまったベーシックなデセールが私の味わいの感覚で作られています。どれをとっても本当にうまい。必ずお客様は大きな満足を得られるものばかりです。デセールは楽しく幸せな食事の最後を彩るもの。デセールが本当においしければディナーはより素晴らしいものに膨らみ、お客様はとても幸せな気持ちを得ることが出来ます。しかし多くのキュイズィニエはお菓子作りを軽んじ、その重要性を知ろうとしません。お菓子はさっと卒業して、流行の形だけのフランス料理を作ろうとします。そんなキュイズィニエの料理が本当においしいはずがありません。このような風潮はとても残念です。お菓子作りを意欲を持って続けたキュイズィニエの料理は流行に流されない力のあるおいしさを得ることが出来ます。
キュイズィニエだったら出来なければならない様々なベーシックなデセール、スフレ・ショ、スフレ・グラッセ、グラス、果物のコンポットゥ、ババロア、プティ・ショコラなどを貴方は本当においしく出来ますか?
貴方が本当に熱い心の持ち主であれば、この本を読んでいけばあなたの考えるお菓子、料理がいかにいい加減なものであるかを知り、そしてその上に進むべき道が見えてくるはずです。
そしてお菓子がおいしくなるにつれてあなたの作るフランス料理も確実に地に根の生えたものになり、そのおいしさは飛躍的に増してくると思います。
最近お菓子の本は作っていませんが既刊本の中では最新のもので、この本のテーマは「私の頭の中にある物の全てに近いものを文字にして載せよう」というものでした。
これはとてもエネルギーのいる仕事でしたが、とにかく夢中で頭の中から引き出しました。掲載されているお菓子の種類は17種と少ないのですが、それぞれのお菓子作りの記述もそれまでになく新しく解説されています。
基本となる3種のムラングの作り方の詳細を、これまで以上に論理的に記しています。生地の作り方やムースにはとても大事な良い状態のムラング・イタリエンヌ、作り方もハンドミキサー、キッチンエイド、ケンミックスと三つのミキサーによる泡立て方の違いをこれ以上ない詳しさで書いています。
またパータ・ビスキュイ(別立て生地)、パータ・ジェノワーズ(共立て生地)、フォン・ドゥ・ダックワーズ、ババロア、ムース(生クリームを使ったものとバターを使ったもの)、クレーム・アングレーズなど。さらに本の解説では再現が比較的難しいパータ・ボンブのバターのムースの作り方も、本の限界を超えよとばかりに、写真と共に解説されています。
載っているお菓子はそれまで未掲載のものでドゥニさんのトゥランシュ・シャンプノワーズの他は全部私のオリジナルです。「ルーロー・オ・キャフェ」、軽さとコーヒーの深い味わいが作り出す心の綾、「ラ・フュージョン(融合)」、コーヒーと抹茶の出会い、私には出来得ないリカール(アニスと甘草のリキュール)が見事にパイナップルに溶け込んだ「トゥリアノン」、少し精神分裂気味ではと私自身も思ってしまう正にお菓子の名前そのものの「ショコラのムラングと、パインとプラリネの甘さの中での意外な翻り」そして臆病さの埋もれそうな私の心を表した「フレーズィエ」。安心に満ちた暖かさに心と身体に静かなたとえようもなく覆いかぶさる「暖かく身を寄せ合うマンゴーとチーズ」。一時期感情を味わいで表現する訓練をしていくつかのお菓子が出来ました。そのうちの一つの「モネの水連」人の意識への沈下を誘うような味わいです。「ベルギービールのムース」も、深い心に沁み込む味わいは多くの人が驚きました。私の過去の注ぐ悲しい想いそのものの「過ぎし日の淡い想いのグリヨットゥ」そして野菜を使ったお菓子ではこれ以上の味わいは誰にも出来はしない赤パプリカ、ほうれん草、かぼちゃの三種の野菜の「野菜のテリーヌ」そして誰もが必ずえっと驚く「不倫の味の一つ」。これは誰もが心のどこかにある非日常への憧れにスッと不意に入り込む味わいを表したものです。
その他のお菓子が冒頭のお菓子のイメージから始まります。
正に人の心を揺さぶる味わいには心の中から湧き出る鮮烈なイメージが絶対に必要なのです。
そのことを大事なテーマにしたかったので「五感で創るフランス菓子」と名付けました。
これはNHK出版の月刊『男の食彩』に1999年4月から2002年3月まで、3年間にわたって掲載されたものをまとめたもので、2002年10月の出版以来12年間で9刷(17500部)と今も増刷を重ねている底堅い人気を持つ本です。
掲載されているお菓子は7種類と少ないのですが、月々の1回掲載で5ページの紙面を使い、3回(3ヵ月)計15ページで一つのお菓子をビスキュイ、パートゥ・シュクレ、パートゥ・ブリゼ等の生地、ババロアズ、クレーム等を出来るだけ深く詳しく掘り下げようという意図の下に作られました。ただお菓子の作り方だけではなく、まず一つのお菓子の味わいのイメージを詳しく述べると共に、それを日本の素材で実現するためにはどのような考え方が必要か、日本とフランスの素材の味わいと物理的化学的性質の大きな違いを克服するためにどのように技術的に対処するかを詳しく述べています。
また一つ一つの工程で使うホイッパー、木べらなどの、そこでの必要性、そしてそれぞれの器具で混ぜた結果出来上がる生地の味わいの特性などを詳しく記しています。
その内容はまさしく私にしか著しえないものであり、それが今でも増刷を重ねている理由の一つでしょう。
また同時にエッセイとして連載した、フランス的な味わいを求める過程で見えてきた日本の食に関する否定的な評論には、二分された賛否両論の激しい内容の投書が多かったと編集者の方から聞きました。それまで誰もしたことはない、暗黙のうちに神聖視されていた今はユネスコの無形文化遺産に指定された和食をも含めて非難したのですから無理のないことだったのでしょう。
私にとってはこの連載のために日本の食へ思考を重ねることにより、偽りの日本の食を確認することが出来た大きな経験でした。
イル・プルー・シュル・ラ・セーヌにも本の内容の大きな不快さを私に伝える匿名の脅迫めいた内容のハガキが二通届いたことも、このエッセイが小さくはない衝撃を読者に与えたと思われます。
少し怖さを感じましたが、もちろん私は最後まで自分の考えを書き続けました。
2014年に中国語版が中国で出版されました。