これは二度目のフランスでの研修において、フランス菓子の味わいをようやく理解し始め、日本人の習慣には存在しないフランス菓子のおいしさと素晴らしさを日本に正しく伝えなければならないと、熱く心が燃えたぎっていた頃に書かれた私の人生最初の著書です。原稿はもちろん自分で書きましたが自費出版でしたので、構成や索引の作成まで自分でしました。これも後の本作りのために有意義な体験でした。
それまでフランス菓子は甘くて酒が強いだけで少しもおいしくないものとされていました。真実はフランス菓子は五感を揺さぶるほどにとてつもなくおいしいものであり、それが日本で実現されないのは日本とフランスの素材の間にはとてつもなく大きな味わい、物理的化学的違いがあり、これが克服されていないために日本の素材で作るフランス菓子は確実にまずいと記しました。
そして、この素材の違いについてその当時の力をふりしぼって書きました。
またこの日本の素材を使ってはフランスと同じ配合、技術では真のフランス菓子の味わいは実現出来ないし、日本の素材の特性に適合した考え方、技術が築き上げなければならないと論じました。
また、ここは日本であり、フランス菓子を作らなければならない必然も環境もなく、これを克服するためにはパティスィエの心の中にフランス的な空間を作らなければならないとしました。
例えば「オペラ」というお菓子はパリ・オペラ座でオペラの幕間に出されたチョコレートとコーヒーの味わいのお菓子で、フランスと同じ配合でビスキュイ・ジョコンドゥで生地を作り、チョコレートとコーヒーを使ってお菓子を作ればよいのではなく、その味わいの中にオペラ座の伝統をまとった幕間の重厚なざわめきを感じられなければならないと書きました。
今も大勢は変わりませんが、当時は100%のパティスィエがお菓子はレシピによって全てが出来あがるとされていました。しかしレシピは出発点であり、パティスィエのイメージ、技術によって出来上がるお菓子の味わいは全く変わってしまいます。パティスィエの精神性が味わいを作り上げるとした訳ですから、ほとんどのパティスィエには何のことか理解できない不快感を感じたようです。
私のある親友の話によると、初めてこの本を読んだとき、「こいつは何訳のわからんことを言っているんだ」と腹が立ち、思わず本を放り投げたそうです。以後、読む気にもなれなかったが、何か心の中にこの本の印象が留まり、気になり続け、半年後にもう一回手にとったら今度は一気に最後まで読んでしまったとのことです。
それくらい全く新しい考え方であり、大きなショックを与えた本でした。今でも全国に技術講習会に行くと、私の年代に近い方がボロボロになった本を持ってこられ、「今でも読んでいます」という言葉を頂きます。この間は長く「パティスィエのバイブル」として読まれてきました。初版5000部の後は増刷しませんでしたが、何としても読みたいパティスィエがとても多く、東京・神田の古本屋では2万円のプレミアムがついたそうです。
一つお断りしておかなければなりません。
この本は二度のフランスでの研修の後に生涯のフランス菓子作りの基礎となったものですが、未熟なところもあり、若干、現在たどり着いた「フィナル」の考え方、技術論とは異なるところがあります。しかしこの本を手にとると、あのころのフランス菓子への熱き想いがひしひしと感じられる私にとって最愛の本です。皆さんのパティスィエとしての心の中に熱い息吹を吹き込んでくれるでしょう。
このⅡは初めての著書Ⅰに続き、フランス菓子の素晴らしさとフランスと日本の素材の違いをより克明に記し、実際のお菓子作りではどうすればよいかと一歩進めたものです。
未だ2回目の渡仏から帰って2年ほどの未だフランスでの様々の印象が鮮明なうちに当時フランスから日本に輸入されていた製菓材料をしっかりと味見をしてドゥニさんのパティスリー・ミエで使っていたものと比較し、当時では最良の材料を選びそしてメーカー名を記したものです。さらに輸入材料だけでなく国産の素材、生クリームなどにも及んで最良のものとそのメーカー名を載せたものですから、あちこちから大きな反発を買ったようです。
考えれば随分と大胆なことをしたものですが、怖さよりも何よりも、フランス菓子の素晴らしさを知ってほしい、そのためには出来る限りよい素材を選り分け、それを知らせなければならないという思いだけでした。
実際のお菓子作りにおいてはまずそのお菓子に対するイメージを詳しく述べ、お菓子を組み立てる様々の部分、例えば私のオリジナルのタルトゥ・シブーストゥ・ア・ロランジュでは、底に敷くパートゥ・フイユテを日本とフランスの素材を考慮した技術ポイントの違いを詳しく述べ、オレンジの漬け込み、空焼きしたパートゥ・フイユテに流して焼くクリ、そして上に盛るクレーム・ドゥ・シブーストゥ・ア・ロランジュで上についても当時の力量の全てを出して6ページに渡り詳しく記しています。
このような詳しい記述はそれまでに全く存在しませんでしたし、現在の最終的な形の原型とも言うべきものです。そして本に載っているシブーストゥ・ア・ロランジュ、タルトゥ・ポンム、コンベルサスィオン、デュシェス、エクレール・オペラ・プラリネ、ガトー・サンマルク、フォレ・ノワール、マルテ、プララン、ムース・キャラメル、ムース・ココ、アカピュルコ、パレ・ドージュその他のお菓子は今も定期的に私の店に並び、おいしさと輝きを失っていません。
考え方として、技術的にもかなり固まってきたころの著書です。しかし現在の考え方、配合とは異なるところは多々あります。2度の渡仏後の私のフランス菓子作りでようやく正しい方向へ向き始めたころの、初期の考え方を知るには良いと思います。
また、「イマジナスィオンⅠ」と連動していますので、「Ⅰ」で既に出たものは省略している場合もあります。「Ⅰ」をお持ちでない方はご注意ください。
『イマジナスィオンⅠ』から23年が過ぎました。ようやく私のフランス菓子の体系は形を成し、広大な広がりを持ち、もうこれ以上は進化できない最終の形を持ったようです。
正に誰もが到達しえなかった孤高の空間です。私はシリーズⅠから、まずあらなければならないのは素材や味わいに対する鮮烈なイメージのみであると述べました。鮮烈で明確なイメージがあれば、そしてそれをどんな事があっても実現するという強い意志があれば、お菓子への考え方、技術は後から必ず築き上げられてくるのです。ルセットゥ、配合表があってお菓子の味わいが決まるのではありません。イメージがすべてを作り上げるのです。そして目標のイメージに辿りつくためには科学的・論理的な考えが不可欠です。
お菓子作りは一口で言えば様々な素材を目に見える領域、見えない領域でどのように混ぜるかということに尽きます。木べらやホイッパーをどのように、どんな速さで混ぜるかによって素材の混ざり具合は異なります。このような味わいには、どの器具を使ってどのように動かさなければならないかというイメージを作り上げなければなりません。またその混ざり具合を正確に安定したものにするためには、お菓子に使う一つ一つの素材の味わい、物理的化学的性質を頭そして何より舌で理解しなければなりません。つまり最終的に口でどう感じるかが食べ物の全てなのです。
素材の特性を正確に理解するためには、味わいの分析と記憶の訓練を常に日々根気よくしなければなりません。
この本の中で事細かく論じられてくるこれら全てのことは、手作りのお菓子の領域の中でやがて自分の本当のイメージに従がってお菓子の味わいが出来るようになり、パティスィエとしての人生を幸せで嬉しく、やりがいのあるものにするために避けては通れないものなのです。
Ⅰはフランス菓子のバイブルとして愛読されました。多くの人がボロボロになるまで何度も何度も読んでくれました。そのような本を見せられると目頭が熱くなります。
『final』もガトー誌上で新たなフランス菓子のバイブルとなるであろうとの書評を頂きました。Ⅰと同じように何度も何度も読まれるようになって欲しいのです。
しかしここ10~20年のパティスィエ達は真にフランス的な味わいのお菓子を作ろうとはせず、飴細工などのピエスモンテの飾り菓子だけが目標となり、大きなコンクールで賞を取ることのみを目標とするようになりました。これはパティスィエとしてとても不幸なことです。
パティスィエやキュイズィニエにとっては毎日がコンクールなのです。日々精一杯おいしいお菓子を作り、お客様に出す。審査員はいつもお客様なのです。
この日本には、フランス菓子作りのための真に土台となる確固とした基礎はこの本以外に存在しません。この本のみがやがてあなた自身の、人を感動させるフランス的な味わいを可能にしてくれます。
恐らく日々の仕事に意欲を持てていないパティスィエには難解な書でしょう。
しかし強い意欲を持てるようになるために、ぜひ読んでほしいのです。